平安時代より開けた平野郷は、交通の要所として発展、戦国時代には自衛のため町の周りに環濠をめぐらせ、その内には土塁を築き、堺とともに環濠自治都市として栄え,安土桃山時代には、朱印船貿易で海外に雄飛した商人を輩出し、また江戸時代には河内木綿の集散地として繁栄しました。
大阪の陣により町は灰燼に帰しましたが、その後再興された町割りは、江戸時代の「摂州平野大絵図」に記されており、現在の町割りもこれとほぼ同じであります。都市化が進んだ現在、環濠は一部に面影を残す程度ですが、神社や寺院はもちろん、環濠の出入り口に設けられた地蔵堂などが今でも昔のままに残り、随所に在りし日の姿を感じることができます。
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杭全神社 |